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慣れるようにと近くの幼稚園に入り、三月まで近くの幼稚園に通いました。思ったよりすんなり皆の中に溶け込んでいきました。補聴器のコードを珍しがって引っ張られたくらいでした。
四月、足立ろう学校の幼稚部に入学しました。覚悟はしていたものの、毎日が私にとって戦争でした。毎朝三人の子供を学校へ出し、掃除、洗濯をすませ、自分もお弁当持参で家を出るのです。
とにかく、交通の便が悪く歩いて通いました。家から二十五分から三十分ほどかかり、雨の日も風の日も…。最初は、なかなか歩かないので、赤ちゃんのときのおぶい紐では問に合わず、特別の紐を作りおんぶしました。またあるときは、台風で道路が増水し靴をぬいで両手にさげて通ったこともありました。
幼稚部の二年問と小学部一年間は、ほとんど毎日付き添いました。教室では後ろでメモを取り、二年からは一週間に三日、そのうち一目と付き添いの回数も少なくなりました。付き添っているときは、その日、習ったことを家で復習するのですが、思うようにいきません。自分ながら情けなくなり、子供にあたることもしばしばありました。付き添いも少なくなってからは、幸い自営業でしたので、主人がバイクで送り迎えをしてくれました。
やがて小高部から中学部までは、バスで千代田線の駅まで行き、待っているスクールバスで通学しました。さて、高等部は都内の学校にしようか、県内の大宮校にしようかと迷いましたが、本人も大丈夫と言うので大宮校に進みました。
家からいままで通り綾瀬駅までパスで出て、千代田線の西日暮里で乗り換えて大宮へ行き、

 

 

 

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